東京地方裁判所 平成10年(ワ)9135号 判決 1998年8月26日
原告
近藤内燃機工業株式会社
右代表者代表取締役
近藤鋕一
右代理人支配人
近藤稔
被告
三井生命保険相互会社
右代表者代表取締役
三宅明
右訴訟代理人弁護士
泉弘之
同
山崎善久
主文
一 被告は、原告に対し、金五三万六六二八円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告に対し、金五五万円を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、訴外渡辺功秀(以下「訴外人」という。)に対し確定判決を有する原告が、訴外人が被告との間で締結した生命保険契約の解約返戻金支払請求権を差し押さえた上、差押債権者の取立権に基づき当該保険契約を解約して、第三債務者たる被告に対し、解約返戻金の支払を求めた事案である。
二 争いのない事実
1 原告は、訴外人を債務者、被告を第三債務者として、浦和地方裁判所に対し、別紙請求債権目録記載の請求債権及び別紙差押債権目録記載の差押債権により債権差押命令の申立てを行ったところ(同裁判所平成九年(ル)第二五六八号)、同裁判所は、平成九年一一月二一日、その旨の債権差押命令を発し、右命令正本は、訴外人に対して平成一〇年一月一六日、被告に対して平成九年一一月二六日それぞれ送達された。
2 訴外人は、被告との間で、同差押債権目録記載の保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結しているところ、本件保険契約においては、保険契約者はいつでも保険契約を解約することができ、その場合、保険者たる被告は、保険契約者に対し、所定の解約返戻金を支払う旨の特約があった。
3 原告は、被告に対し、本件保険契約を解約する旨の意思表示を行い、右意思表示は平成一〇年二月二日被告に到達した。
4 本件保険契約によると、本件保険契約の平成一〇年二月二日時点の広義の解約返戻金(解約により保険者が契約者に返還すべき金額)は五三万六六二八円であり、その内訳は次のとおりである。
(一) 狭義の解約返戻金
五四万八三七〇円
(二) 配当金 一〇万六六四五円
(三) 契約者貸付元金
△一一万二九七四円
(四) 同利息 △五四一三円
三 争点
本件における争点は、①生命保険契約の解約返戻金支払請求権が債権差押えの対象となるか、及びこれを差し押えた債権者は取立てのために保険契約者の有する解約権を行使することができるか否か、②被告は解約返戻金を支払う際に、契約者貸付金の元利金を控除することができるか否か、の二点である。
四 争点に関する当事者の主張
1 争点①について
(一) 原告
まず、生命保険契約の解約前においても解約返戻金支払請求権の差押えが許されることについては、異論がないところである。そこで、解約返戻金支払請求権の差押債権者がこれを具体化するために保険契約者の解約権を行使することが問題となる。かつては、右解約権は保険契約者の一身専属的ないし人格的権利であるとして、これを否定する見解もみられたが、今日では、これを肯定する見解が有力である。もっとも、学説のあるものは、右解約権行使について、解約返戻金支払請求権と別に解約権を差し押さえ、これについて行使命令(旧民事訴訟法六二五条一項、六〇〇条)を得ることを要するとする。しかしながら、差押債権者が被差押債権につき取立権を取得したときは、被差押債権の取立てのために一定の範囲で債務者の有する権利を行使することができるものと解される。そして、この差押債権者が行使することができるとされる債務者の権利には、解除権や取消権も含まれると解される。したがって、生命保険契約の解約返戻金支払請求権を差し押さえた債権者は、その取立てのために解約権を改めて差し押さえるまでもなく、これを行使できるものと解すべきである。
(二) 被告
そもそも生命保険契約は、被保険者及び死亡保険金受取人の生活保障的機能を有するところ、債権者による一方的解約は、保険事故発生時における右のような生活保障的機能を奪うことになるから、民事執行法一五五条の取立権に基づき、差押債権者が当然に解約権を行使できるとする見解は誤りである。また、滞納処分による差押えについては、国税徴収法六七条の取立権に基づき、当然に解約権行使が認められるが、この場合は、その公益性が解約権行使を認める根拠となり得るのであるが、本件のような私債権の取立てにはその理が当てはまらない。
次に、差押債権者は当然には解約権を行使できないが、保険契約を保障性の強い保険と貯蓄性の強い保険に大別し、後者については、執行債権者は債権者代位権により解約権を行使し、解約返戻金を取得できるとする見解がある。しかしながら、右見解は基準が明確でないため、保険会社が任意に後者の保険と認めて解約返戻金を支払った場合、後に債務者(保険契約者)から保険会社相手に提起された保険金請求訴訟において、前者の保険であり、債権者代位権により行使できないと判断された場合、差押債権者による解約権行使が否定され、二重払いをさせられることとなる。仮に、当該保険契約が後者の保険であるとしても、債権者代位権の行使には債務者(保険契約者)の無資力が要件とされるところ、保険会社には、保険契約者の資力は容易に判明しない。そこで、やはり、後の保険契約者と保険会社間の保険金請求訴訟において、債権者代位権の行使が否定されて、保険契約者に対し、二重払いをさせられる危険がある。したがって、右前記二分説にも従うことはできない。
2 争点②について
(一) 原告
仮に、生命保険契約が保険契約者の一身専属性や公益性の強いものであるとすれば、契約者に対する貸付金による相殺は、当然許されるべきではない。
(二) 被告
保険料の自動貸付については、終身保険普通保険約款(以下「約款」という。)一三条三項二号に、通常の契約者貸付については約款三三条三項二号にそれぞれ契約消滅時に当然に支払金から貸付金を差し引くことが規定されている。この措置は、いわゆる相殺の担保的機能からして当然のことであり、また、保険料の自動貸付及び通常の貸付の制度は、本来契約者を保護する制度であるから、これらの規定が、保険契約の一身専属性や公益性に抵触するものではない。
第三 争点に対する判断
一 争点①について
本件保険契約は、保険契約者がいつでも保険契約を解約することができ、その場合、保険者が保険契約者に対し、所定の解約返戻金を支払う旨の特約付きであったことは当事者間に争いがなく、証拠(乙三)によれば、右解約返戻金の額は、同約款別表五に例示の割合で計算した額とされていることが認められ、本件においてその額(狭義の解約返戻金の額)が五四万八三七〇円であることは、当事者間に争いがない。
右によれば、本件解約返戻金支払請求権は、解約の意思表示によって自動的に額の定まる金銭の給付を目的とする財産的権利であり、しかも、民事執行法一五二条の差押禁止債権にも該当しないから、それが保険契約の解約によって具体的な権利として存在するに至った場合に差押えが許されることはいうまでもないが、保険契約の解約の前であっても、解約を条件とする条件付権利として存在し、その差押えもまた許されるものというべきである。また、同法一五五条一項によれば、差押債権者は、債務者に対して差押命令が送達された日から一週間を経過したときは、その債権を取り立てることができるものと規定されている。そうすると、差押債権者は、右債権の取立てのために、債務者の有する権利を、右目的の範囲内において、かつ、右権利の性質に反しない限りにおいて、行使することができるのであって、債権者が生命保険契約解約前の解約返戻金支払請求権を差し押さえてこれにつき取立権を取得したときは、この解約返戻金支払請求権を具体化して取り立てるために、保険契約者の有する解約権を行使して、保険契約を解約することができるものと解するのが相当である。
これに対し、被告は、そもそも生命保険契約は被保険者及び死亡保険金受取人の生活保障的機能を有するところ、債権者による一方的解約は、保険事故発生時におけるその生活保障的機能を奪うことになるから、その権利の性質上、差押債権者の取立権の対象とはならない旨主張する。
そこで、検討するに、確かに、一般的に、生命保険契約は、被告主張のような機能を有することが認められないではないが、他方において、保険契約者の資産運用、貯蓄、相続税対策等のためにも利用されていることも当裁判所に顕著な事実であって、保険契約者や保険金受取人の有する保険金請求権や解約返戻金支払請求権等については、それらの債権者が債務者の一般財産に属するものとして右権利に重大な関心と利害を有していることもまた明らかというべきである。したがって、生命保険契約の生活保障的機能を一方的に強調するのは相当ではない。また、保険契約者の有する解約権は、保険契約者の自由意思により、財産的権利である一定額の金銭債権を発生させるという形成権であり、身分法上の権利とも性質を異にするから、保険契約者の一身専属的権利ということもできない。しかも、もし、解約返戻金支払請求権の差押えが許されると解しながら、他方において差押債権者の解約権の行使は許されず、保険契約者が後に解約権を行使するまでは、差押債権者は解約返戻金支払請求権の取立てを待つべきであるとするのは、いかにも不徹底であり、解約返戻金支払請求権を差押禁止債権とはしていない現行法の建前とも合致しない。そうすると、生命保険契約に被告主張のような生活保障的機能を有する面が存するとしても、このことゆえに、保険契約者の解約権がその性質上差押債権者の有する取立権の対象とならない権利に該当すると解することはできない。
よって、被告の前記主張は、採用の限りではない。
ところで、原告が被告に対し、本件保険契約を解約する旨の意思表示を行い、右意思表示が平成一〇年二月二日被告に到達したことは、当事者間に争いがない。
そうすると、本件保険契約は、原告の右解約権の行使により、右同日有効に解約されたものというべきである。
二 争点②について
約款一三条三項二号、三三条三項二号によれば、保険料の自動貸付金及びその他の契約者貸付金の元利金は、保険契約の消滅時に支払金から差し引くこととされているところ(乙三)、右約款の各規定が特段不合理である旨の主張も立証もないから、被告は、本件解約返戻金から貸付金の元利金を差し引くことができるものと解される。
そうすると、右貸付金の元金が一一万二九七四円であり、その利息が五四一三円(合計一一万八三八七円)であることは、当事者間に争いがないから、被告は、原告に対し、狭義の解約返戻金五四万八三七〇円に配当金一〇万六六四五円を加え、これから右一一万八三八七円を控除した五三万六六二八円を支払うべき義務がある。
第四 結論
以上によれば、原告の本訴請求は、五三万六六二八円の支払を求める限度で理由がありその余は理由がないこととなる。
(裁判官小磯武男)
別紙<省略>